「貴方がスザクに何か言ったのでしょう」
神楽耶は忌々しそうにルルーシュを睨み付けると里へと帰っていった。



ルルーシュに暇を言い渡されたあの日以来、奥からは次々に人が減っていった。
原因はもちろんスザクが里帰りを命じたからなのだが。
女達は親にどう言おうと泣きながら―喜ぶ者もいたが―各々の里へと下がっていった。
一方、ルルーシュはと言うと、色々理由をつけて留まっていた。



奥にもスザクにも未練はない。ないはずだ。
さっさと帰って、優しい妹と暖かな生活を送ればいい。母の墓に二人で参って。
それは自分が望むことで、楽しいことのはずなのに、何故早々に里帰りをしないのか。
ただ、そうすると、後味が悪い気がするのだ。



豪華な着物をキュッと握り締め、ルルーシュは唇を噛み締めた。
「さっさと帰れ。これで被害者の立場から開放だろう?良かったじゃないか」
隣で可笑しそうに声を上げて笑うC.Cに憤りを覚えながら睨み付ける。
冷たい視線を受けてなお、彼女は嘲笑うかのように笑っている。
「何だ?その情けない面は。何がお前の心を縛り付ける?帰れないわけでもあるのか?」
「そんなもの!…あるわけない」
搾り出すように言った言葉は、人が少なくなり、寂れた空間だけが目立つようになった大奥の空気に溶けていった。



ただ頭に残っているのはあの優しい少し甘えたな声。
初めて会った時はなんて礼儀知らずな男だろう、と思った。
こんな男の元に嫁ぐ羽目になるなんてあり得ない、とも思った。
父親とスザクに憎しみすら抱いた。



それなのに滑稽だ。
こうして、里へ帰る許可が出たときに、帰ることを迷っている自分がいるなんて。



頭の中に浮かぶのが、優しい母の声でも最愛の妹の声でもなくて。
『ルルーシュ』
少し低くて柔らかくて…甘えたで…
迷子の子犬のような新緑色の瞳をたたえた憎き敵のアイツなんて。



信じたくない。



「まあ、とにかく、そろそろ帰らないとお前が最後の一人になってしまう。また目をつけられるぞ?」
すっと着物の裾を引いて立ち上がり去って行こうとするC.Cが振り返る。
「どんなに傍にいることを望もうと、ここでの上様の命令は絶対だ」



居座り続けて、早2週間が経とうとしていた。
広く、あんなに女達がひしめき合っていた大奥という場所は、とうとうC.Cとルルーシュの2人きりになってしまった。
明朝、里へと下がった女はルルーシュの世話を最後までやいてくれていた大人しい姫で。
巻き込んでしまっては申し訳ないという気持ちから、ルルーシュ自らが里帰りを命じたのだ。
一方、もう一人の侍女のC.Cはというと、「こんなに面白い芝居を見ないのは損だ」と突っぱねてしまった。
もう1週間もスザクはこの大奥へと来ることはなかった。
ルルーシュは侍女が居なくなった分、自分のことは自分でこなして、ただスザクを待ち続けることしかできず。
C.Cはただ、毎日を無為に過ごすルルーシュを見ていた。



「結局、お前がしたいことは何なんだ?ルルーシュ」
「したいこと…?」
「最初は力が欲しいと言っていた。それならこの大奥を好きにできたのだから達成しただろう?」
小さな色とりどりの金平糖を一粒つまみ、つまらなさそうにC.Cは庭を見つめる。
即答できるはずの問いに答える声はどこにも無く。
ただ黙り込み、ルルーシュは和紙の上の金平糖を指先でコロリ、と転がした。
一向にない返事に、C.Cの大きなため息が響く。
「ここまで粘っておきながら、答えも出せないのか。賢いようで鈍いな、ルルーシュ」
庭に向けていた体をルルーシュの方へ向けると、C.Cは襟の合わせをトンと人差し指で突く。
「答えはもう出ているんじゃないのか?よく考えろ」
「答えがわかっているなら教えてくれたっていいだろう」
「それでは面白くないだろう?」
楽しげにクスリと笑うC.Cにルルーシュは長い睫を僅かに震わせ、瞳を伏せる。



「ねぇ、どうして君はここにいるの?」
ぽつりと降り始めの雨のように落ちてきた言葉は、酷く頼りない声だった。



3週間ぶりに顔を合わせたスザクからは、いつもの控えめな笑みが消えていた。
その代わりに、近づきがたいような冷たい空気を保っていて。
これが本来将軍が備えている覇気だと言われてしまえばそれまでなのかもしれないが。
「質問に答えて。ルルーシュはどうしているんだ?ここに」
「…さぁ、何でだろうな」
「出たいんじゃなかったの?」
「来たばかりのころはそう思ってた」
「今は…?」
抑揚の無い、感情の篭らない受け答えが続く。
ルルーシュが顔を上げて、立ったままのルルーシュを下から見上げる。
困ったような戸惑っているような、どこか頼りない表情を見た瞬間、ルルーシュの唇が開いていた。



「帰ったら泣くだろう?」



容赦ない、無礼な言葉に何とも言えない空気が二人の間に流れる。
スザクはただでさえ大きな瞳を更に丸くして。
対するルルーシュはというと、しまった、と言わんばかりに視線を膝へと落とした。
「泣く?僕がどうして?」
ルルーシュの正面に、微妙な距離を置いてスザクが座ったのを視界の片隅に入れると、ルルーシュは息をついた。
こうなったら少々強引な手を使っても完全にスザクを手に入れてしまうしかない。
頭の中で再び計画を練り直すとすっ、と顔を上げた。
優しい慈母のような能面を貼り付けて。
「寂しいのは嫌だろう?」
「そんなことない。今までだって一人だ」
自分で言っておきながら傷ついたような顔をするスザクは将軍というよりは一人の子供のようで。
ルルーシュは、内心笑いながら僅かに離れた距離を詰める。
「慣れてる、と言うのか?無理をするなよ」
「無理なんかじゃ…」
いっそ可哀相なほどに揺れる新緑色の瞳にルルーシュは口元を吊り上げた。
着物の裾を引いて、今度は一気にスザクの真正面へと移動する。
少し背の高い相手の瞳を下から覗き込むように見上げ、顔を近づけると、優しく頬に手を這わす。
「スザク…お前は一人では生きられない。孤独に弱い生き物なんだ」
「…っ」
息を呑むスザクを見ると、ルルーシュは瞳を細めた。
あと少しだ、と白い指をスザクの胸板へ這わせると、大袈裟に肩が震える。
あぁ、本当に、何て可愛い。



ぐいっと、スザクの襟を掴み引き寄せ口付ける。
目の前で新緑の瞳が見開かれていくのを見ながら、ルルーシュはスザクの首へと腕を絡めた。



「俺がお前の傍にいる。一人になんか、しないから」



どんっ
「…あぐっ!!」
一瞬何が起こったのか分からなかった。
ただ背中に走る痛みと、目の前で唇を手の甲で必死に拭い立ちすくむスザクだけが情報を齎す全て。
突き飛ばされたのだ、と理解したのは、そこからさらに数秒後。



「…スザク?」



俯いたまま腕を振るわせるスザク。
「…どうして…君まで…」
搾り出すように呟かれた言葉は酷く胸に響く。
ゆっくりと上げられた顔は泣きそうに歪んでいた。
いつも透き通った綺麗な瞳は、悲しみだけでなく、怒りや苦しみ、怒り、悔しさに揺れ。
謝罪の意を込めて伸ばしたルルーシュの手は渇いた音を立てて払い落とされた。



「触るな。ルルーシュ。本当に帰る気はないのか?」
「命令されても帰らないさ。殺すか?俺を」
クスリ、と笑いながら言うと、スザクは諦めたように溜息をついた。



好きにしろ、と一言吐いて捨てるように言うと、スザクはそのまま部屋から出て行った。
ルルーシュの真っ白な手は情けなくガタガタと震えていた。



to be continu...