興奮が冷めやらないまま、何とか家に帰り着いて湯気を立てる浴槽に身を沈める。
仄かに香るラベンダーは気分を和ませて、ジノは深呼吸すると気持ちのよい声を上げた。
告白したときの顔を真っ赤にしたスザクの顔が頭の中を何度もよぎる。
その度に思わず顔がにやけて、ジノは口元を押さえた。
けど、とジノは湯船の淵に手をかけて、身を深く湯に沈める。
「昔からずっと…大好きだから…ってどういうことだったんだろう」
スザクと初めて会ったのはこの前のお見合いのときだったと思うんだけど。
たった数日前を『昔からずっと』とは言わないだろう、と考えながら、濡れた髪をかき上げる。
あと一つ、気になる事があった。
お見合い相手と付き合う事になったということは自然と婚約したことになるのだろうか。
そうだとしたら嫌だな、と眉を寄せるとジノは腰を上げた。
スザクは可愛いけれど、一生を縛られる相手なんて御免だ。
バスタオルを体に纏わせて、ジノは鏡を見てくすりと笑った。
プルルルル、と音を立てる携帯を掬うように取ると、見慣れた名前に携帯を耳に当てた。
「どうしたんだい?ミリイ?明日?もちろんご一緒するよ。楽しみにしているよ」
ピ、と電話を切るとジノはそのままベッドへと転がって、小さく口元に笑みを浮かべた。



夜は大分更けて、電気を付けていない部屋には月明かりが差し込んでいる。
今日学校であったことがまだ信じられなくて、スザクは枕を抱いてベッドに横になっていた。
体にまだ抱きしめられた時の体温が残っているように感じて、知らず紅潮する頬を枕に押し付けた。
恥ずかしい。本当に恥ずかしい。恥ずかしすぎて溶けてしまいそう。
初めて会った時の反応を見て、正直諦めていた。
彼はどう見ても僕のことを覚えている様子では無かったし。
思い起こして、僅かに期待していたのを打ち砕かれたあの時の気持ちを思い出して眉を寄せる。
今は恋人になれたのだし、忘れよう、と頭を左右に振ると枕元に置いてあった写真をそっと抱き締める。
彼が覚えていなかったとしても思い出が消え去るわけでも、傷がつくわけでもない。
自分が覚えている限りなくならないのだから。
机の上には前夜祭だと皆から貰った一日早い誕生日プレゼントが並んでいる。
ミレイなんてそれは大きなケーキを焼いてくれた。
きっと当日である明日は今日以上にめいっぱい祝ってくれるのだろう。
想像するだけでワクワクとしてくる。
スザクは小さく笑って携帯電話を手に取った。
「…ジノは祝ってくれるのかな…あ、でもきっと知らないよね。僕の誕生日なんて」
仕方ない、とは思う半面、付き合って初めてのイベントを一緒に過ごせないなんて残念だとも思う。
けれど、もしかしてサプライズで祝ってくれたりしないか、なんて淡い期待も捨て切れなくて。
考えるだけで明日が待ち遠しくてスザクは笑みを浮かべた。
明日はいつ会えるだろう。会いに行った方がいいのだろうか。
それとも今度は僕から会いに行こうか。
色々と考えて足をぱたぱたと揺らしたスザクはまだ知らなかった。
スザクのまだ短い人生至上最悪の誕生日になるなんて。



はやる心を抑えながら学校へと少し早足で登校する。
少し周りを気にするようにきょろきょろとして、正門をくぐると、待っていたのかルルーシュが手を振った。
「ルルーシュ」
「誕生日、おめでとう。スザク」
ありがとう、と微笑んで言うと、ルルーシュがぐいっとスザクの腕を引いた。
「…どうしたの?ルルーシュ」
「…眼鏡はどうした?」
指摘されてあぁ、と頷いた。
そういえば、今日は眼鏡を置いてきたんだった、とスザクは少しだけ切った前髪を指先で遊んだ。
「…やっぱり変かな?」
「変なわけないだろう?けれどあんなに眼鏡を忘れるなと言ったのに」
心配していた通りに道行く男達がちらちらちらちらと盗み見ていく。
それに、ルルーシュは舌打ちするとスザクの腕を引いて校舎へと向かおうとした瞬間。
何やら校門の方が騒がしい。
思わず立ち止まり振り返ると、女性に囲まれたジノが綺麗な金髪の女性と腕を組んで登校している姿。
またあいつか、とルルーシュが苦々しげに呟く隣で、スザクは無言で佇んでいた。
「スザク?どうした?」
ルルーシュに声をかけられてぴくんと肩を揺らすとスザクはにっこりと微笑んだ。
「あ、ごめん。ちょっとぼうっとしてた。行こう、ルルーシュ」
それだけ言うと早足で歩き出すスザクをルルーシュは眉間に皺を寄せながら追いかけた。



噂の美少女の正体が判明した為か、スザクの周囲は俄かに活気付いていた。
教室の窓から覗かれるのは居心地が悪くて思わず苦笑してしまう。
中にはプレゼントを持ってきてくれる人まで居て、今まで目立たないようにしてきたスザクは恐縮するばかりで。
「スザク大人気ね。ある意味凄いわ。たった1日でコレでしょ?」
「大人気って言われても…何だかパンダにでもなったような気分で嫌だよ」
動物園の動物の気持ちが分かる、と冗談半分で呟きながらスザクはもらったプレゼントのリボンを解いた。
あ、クッキーだ。カレンも食べる?なんて微笑むスザクを見てカレンは溜息をついた。
溜息を聞いて首を傾げるスザクの手元からごまかすようにクッキーを取ると口に含む。
ほろ苦い珈琲味のクッキーはとても美味しくて。
「あ、そうだ。先に渡しておくわ。そのクッキーの主に先を越されたのは悔しいけど」
誕生日おめでとう、の言葉とともに差し出された小さな箱は可愛らしい包装紙に包まれていて。
「わ、開けていい?」
「もちろん。気に入ってくれると嬉しいんだけど」
わくわくとしながら箱を開けると、そこには可愛らしい硝子玉のストラップ。
すっかりブリタニア色に染まっている昨今では珍しく和風なそれに、思わずほう、と息をつく。
少しだけいびつな模様のそれはひとつひとつ手作りされているのだろう、ぬくもりを感じた。
「ごめんね。安物で」
少し照れくさそうに言う彼女にスザクはふるふると左右に首を振ると、早速携帯に取り付けた。
とても可愛い、と顔の横でストラップを揺らして微笑んで。
それを見てカレンは小さく微笑んだ。
平和な時間は何だか酷く久しぶりな気がする、と思っていると一つの要因を思い出した。
「あ、何か静かだと思ったら今日はヤツがいないのね。ジノ君だっけ?」
名前を出した瞬間、びくんとスザクの肩が揺れた。
「何?何かあったわけ…?」
「…他の人には言わない?」
「言わないから!」
スザクは恥ずかしそうにしながらカレンの耳元に唇を寄せた。



「実はね…ジノと付き合うことになったの…」



スザクの爆弾発言にカレンは大きな瞳を一際大きくして上げそうになった声を両手で覆った。
「賛成はできないけど、応援するわ」
複雑そうだけれど、応援してくれるという彼女の言葉は嬉しくて、スザクは思わず微笑む。
朝見てしまったジノと金髪の彼女で気分は少し沈んでいたが、一気に浮上するのを感じる。
2人はどんな関係?とジノを少し疑っていた心がきっと彼女は友達なんだ、と思えるほどに。
「良かった、カレンにだけは話して。カレン頼りになるから大好きっ」
「大袈裟ね。でも良かったじゃない。今年の誕生日はやっと幼馴染卒業ね」
「ぇ?」
「恋人ができたんだから、誕生日の夜はデートでしょ。サプライズでもあるんじゃない?」
ジノ君。そういうの好きそうだし、と話を続けているカレンの声が右から左へ抜けていく。
デート?デート?ジノと初デートが誕生日なんて、何て素敵なんだろう。
生まれて初めての経験は色々な楽しそうな想像が膨らんで、ここ数年は嬉しいと思うことの無かった誕生日が楽しくて。
スザクは子供のようにふにゃ、と笑った。それはもう嬉しそうに。
「…何ていうか、こっちが当てられるわ…」
カレンが眉間に手を添えて唸っているのなんて全然気付いていなかった。



「それじゃあ、また明日ね。スザク」
「うん、また明日」
カレンのおかげで生徒会のイベントも早めに終えてもらえて、両手の紙袋いっぱいに入ったプレゼントを見つめた。
色とりどりのそれは見てるだけで楽しくなって、スザクは目元を和ませる。
明日会ったらもう一度皆にお礼を言おうと決めて、左手の腕時計に目をやる。
まだ時間は6時過ぎ。
夏の、まだ日が長い時期。ジノに会えるだろうか、と鞄から携帯を取り出して、電話帳を開く。
まだ慣れない、くすぐったいその動作に頬を僅かに赤くしていると、聞きなれた声に顔を上げた。
けして遠くない場所から聞こえる声に導かれるようにして足を進める。
小さな緑に囲まれた庭になっているその場所。
朝見た金髪の彼女を腕の中に抱き締めて、口付けている背の高い金髪の彼。
それは一枚の絵のように美しくて。
スザクは知らず固まってしまっている体を抱き締めると音を立てないように後ずさった。
『愛してるよ、ミリイ』
最後に聞こえたその言葉に、スザクは嫌々と首を振ると急いでその場を立ち去った。



ずっと走っていた体は今まで感じた事が無いほどばくばくと波打っていて、スザクは家の玄関をくぐった瞬間座り込んでしまう。
せっかくの誕生日は、すっかり色をなくしてしまって。
誰もいない一人暮らしの薄暗い部屋だと理解した瞬間、スザクは声をあげて泣き喚いた。
遊びだったの?貴方にとっての私は何だったの?
私が一番ではないのなら、あんな言葉いらなかった。
泣きすぎて瞼も腫れて目は真っ赤で喉も痛くて。
何より胸が痛くて。
誰かに助けて欲しくてひたすら泣き続けた。
一度手に入れてしまった温もりは手放せられなくて。
スザクは泣きすぎて少し熱をもった体をなんとか寝室まで持っていくとずっと枕元に飾った写真立てを抱き締めた。
「ジノ…君が分からないよ…」
ねぇ、どうして君は僕に近づいたの?
ただ珍しかったから?それとも何かの賭け?
僕をからかいたかったの?
「そういえば僕…愛してる、なんていわれたことないや…」
大好き、と愛してる。
どっちの愛が大きいかと言われるときっと愛してる、の方だろう。



「何だ、僕、浮かれて馬鹿みたい。2番目以下なんだ。もしかしたらその他大勢なのかも」



考えれば考えるほど悪い方悪い方へ考える。
幼い頃の純粋にジノを思っていた頃の想いまで穢れていくような気がしてスザクは瞳を閉じた。
こんな汚い自分が大嫌いだ、と閉じられた瞼から涙がまた毀れて。



アッシュフォードに来てから少しずつ戻ってきた感情がまた少しずつ音を立てて凍り付いていくような音がした。



to be continu...