ジノは今までに感じたことが無いほどの絶望感を感じていた。
女性に振られたことは今まで何度か経験があったけれど、ここまで打ちのめされたのは初めてだった。
ぐったりと机に突っ伏して声にならない声を上げていると、頭を思い切り叩かれた。
間抜けな音と共に訪れた刺激に頭を上げると、ニンマリとした友人の顔が目の前に広がって。
思わず『げ』と嫌そうな顔を上げると目の前の友人の顔が失礼だと歪められた。
「お前がど派手に振られたって言うから来てやったのになんて面だよ」
ドカッと今まで突っ伏していたジノの机に腰をかけると彼は呆れて肩を竦めた。
絶対馬鹿にするために来ただろう。
恨めしげに友人を見上げると、案の定彼はにたぁ、と笑う。
やっぱり、と肩を落とすと隠すこともなく大きな溜息をついた。
「ルキアーノ。今はお前の相手をしている余裕、無いんだけど」
「おいおいおい。お前まさか本当に凹んでるのか?どんなにいい女なんだよ、そのスザクっていうのは」
彼の想像以上の凹みようだったのか、少し焦りを含んだような苦笑が毀れる。
「いつもならさっさと諦めるくせに、今回はずいぶんねちっこいんだな」
珍しいものを見た、と楽しげに言うルキアーノを殴ってやりたい衝動に駆られるのを必死に押しとどめる。
コイツの狙いは私で遊びたいだけだ。
ここで相手をすれば、思う壺になってしまう、とぐっと堪える。
反応を示さないことが面白くなかったのか、ルキアーノが胡乱気な視線をジノへと投げかけてくる。
けれど、ジノにルキアーノを相手にする余裕も義理もなくて、視線を反らすと、はぁ、と溜息をついた。
「溜息多すぎるぞ、お前!!ヴァインベルグのお坊ちゃんのくせに!」
「ほっとけ」
「ったく…諦めきれないならめげる前に力いっぱいぶつかれっての!お前は昔からそうだ!諦めが早すぎる!」
その昔からっていつからだ、と反論するのも面倒くさくて、また重い溜息をつく。
それにまたルキアーノが苛立ちを隠し切れない声をあげて、ぎゃーぎゃーと吼えた。
しばらくそうして吼えていたが、ルキアーノの顔がふいに真面目な顔に変わる。
「…お前さ、また諦めるのか?あの時みたいに。あの頃は子供だったし、仕方なかったけど、今は違うだろ?」
言い聞かせるように、兄貴面をして話す友人の中々見ることのできない一面に一瞬目を見張る。
お前、そんな顔できたのか、と茶化そうとした瞬間、察したのかルキアーノに睨まれ口を噤んだ。
「今は力も、意見できる口もちゃんとある。なのに、諦めるのか?しかも、自分の不手際が原因で」
「ちょっと待てよ。またって…いつの話をしているんだ?」
「覚えてないのか?お前の初恋だろ?」
どれが初恋なのか思い出すことが出来ずぽかん、としているとルキアーノが思い切り肩を落とした。
まさか忘れるか、あんなことがあったのに…などとぶつぶつと呟く様子は馬鹿にされた感じを受ける。
「仕方ないだろ。忘れてるんだから」
「仕方ないって言うけど…あれは忘れちゃ駄目だろ!!」
はぁああああ、とまた大きな溜息を聞いてジノの機嫌がますます下降する。
素直に忘れてしまった思い出を話してくれればいいのに。
思わず不満を口にすると、ルキアーノはそうだな、仕方ないと肩を竦めた。
「もう10年前になるんだなー。お前、あの人のこと大好きでさ…」



「ルキアーノ。余計なことは話さないで。昔のことだろ」
やっと話が聞けると意気込んだ瞬間割り込んできた声に驚いたのはジノではなくルキアーノの方だった。
普段人を喰った様に細められた目は今はまん丸に見開かれている。
「スザク!会いに来てくれたのか!?」
ぱぁっと笑顔になり飛びつこうとした瞬間、スザクに睨まれて、すごすごと椅子に腰を落ち着ける。
朝のようにまた一刀両断にされるのは御免だと大人しくしておく。
「おいおい、ジノの言ってたスザクって枢木の姉さんのことだったのか。美人に成長したなぁ」
「そう言う君はずいぶん軽くなったね。あの頃は純粋で可愛かったのにさ」
うわ、きついなと茶化して笑うルキアーノとそれを見るスザクの視線は旧知の仲といった感じで。
思わずぽかんとなってしまっているジノにルキアーノが気付くとにやぁ、と笑った。
その笑みは何かをたくらんでいるそれで。
「る、るきあー…の?」
「あぁ?何だよ。折角懐かしさに浸ってんだから邪魔すんな」
な、姉さんとぎゅう、とスザクに抱きついていて。
声にならない悲鳴を上げてルキアーノを睨みつけていると、スザクが呆れたようにルキアーノの髪を撫でた。
そんなこと俺もしてもらったことないのに、と打ちのめされて思い切り肩を落とす。
「おいおい、そんなに凹むなよ」
「君が苛めるからだろ?ルキアーノ」
「ちょ、姉さんも乗っただろ!?」
何気ないやりとりさえも二人の関係を肯定されてしまって更に打ちのめされる。



「で、私も暇じゃないから用件に入って良いかな?」
「あ、そうだよ、何しに来たんだ?」
「ジノがね、今日の朝話したいことがあるとか言ってたから…流石に聞かないのは大人気なかったかなって」
表情の読めない顔で言うスザクが頬を人差し指で引掻く。
ルキアーノは何かを察したのかスザクの髪を少し乱暴に撫でるとそっとその場を立ち去った。
一人残されたジノは眼鏡越しの冷たい視線を受けて思わず顔を反らした。
それを見て、スザクが大きな溜息をつく。
「君が話があるって言ったんだろ。ないなら帰るけど…」
「な、何だかスザク冷たくないか?朝も思ったけど…」
雰囲気に呑まれておずおずと言うと、スザクの冷たい視線が更にそそがれる。
無表情の中に『当たり前だろ』という意思を感じると、そーですよねー…と視線を反らす。
そして暫く沈黙が続くと意を決したように視線を真っ直ぐスザクに戻した。
「私と仲直りしてくれないか?」
勇気を振り絞ってやっと発した言葉はスザクが僅かに眉を動かしただけで反応はなかなか返ってこない。
「やっぱり、嫌か?」
「嫌…というか…君は私をどうしたいんだい?」
真意を知りたい、と言わんばかりに腕を組んで真っ直ぐ見つめてくる。
どうしたい?と聞かれても明確に答えを持たないジノには即答ができない。
その様子にハァ、と再び大きな溜息が振ってきた瞬間、反射的にスザクの手を握っていた。
「分からない、けど!スザクがいいんだ!スザクと一緒にいられないのは嫌だ!!」
教室中に響き渡るような大声で言うとスザクの瞳が僅かに見開かれた。
「それは、ただ手元にあったものが離れて悔しいからじゃないの?」
違う、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
否定したいのに、否定しきれなくて、唇を噛み締めて俯いた。
「そんな中途半端で仲直り、なんて言ったのかい?」
一向に何も言おうとしないジノに、肩を竦めながら呆れたように言葉を発する。
教室の空気は二人の緊迫した雰囲気に巻き込まれたようにぴんと張り詰めている。
ごくり、と息を呑む音を皮切りにスザクがぽすん、とジノの金の髪を撫でた。
許しを得た子供のようにジノがおずおずと顔を上げると、スザクはすっと瞳を細めた。
「君の気持ちがはっきりしてからまたおいで。その時は朝みたいに逃げたりしないから」
最後にぽすぽすとジノの髪を撫でるとスザクはそのまま教室を後にした。
ジノにはスザクの手を取って引き止めることなんて出来ず。
スザクはジノを振り返ろうともしなかった。
表情一つ変えることさえも。



教室を出て気分転換をかねて屋上へと足を向ける。
少し冷たい空気が吹き抜けるその場所はスザクのお気に入りの場所だった。
手すりにそっと体重を預けてスザクは体中の空気を抜くように思い切り息を吐いた。
「おっきな溜息!一生分の幸せが逃げちまうんじゃねぇのか?」
後ろからかけられた声に振り返ると、ルキアーノがスザクに近づいて来ていた。
大方、先程のジノの一件を話しにきたのだろう。
スザクはそう考えると、彼の方を振り返った。
「いいよ、別に」
「投げやりだなぁ。昔だったらそんなの迷信だとか何とか叫ぶところだろ?」
「10年も前の話、持ち出さないでよ」
投げやりな答えにも懲りずにルキアーノはスザクの髪をくしゃくしゃとかき回した。
その行為は年下にされているというのに、怒る気にさせず、スザクは大人しく瞳を伏せた。
それにまたルキアーノが意外そうに目を見張る。
「本当に大人しくなったなぁ」
「仕方ないよ。あれから、色々あったんだ」
意味深な言葉にルキアーノのきつめの瞳が僅かに揺れた。
スザクはただ困ったように笑っていた。
ルキアーノはただ、そうか、と一言だけ返して、スザクの髪から手を離して空を見上げた。
夏の空は心の中を綺麗に洗い流そうとするかのように澄み渡っている。
スザクに習うように深呼吸すると、それにしても、と切り出す。
「相変わらずジノには甘いよな、姉さんは」
「惚れた弱みだからね」
さらりと返ってきた答えにルキアーノは僅かに目を見張る。
言い放った張本人は人差し指を唇に添えて『内緒だよ』と付け加えた。
幼い頃に比べて表情が乏しくなってしまっている幼馴染に寂しさを感じると、ルキアーノは上半身を乗り出して顔を近づける。
間近で見る彼女は、眼鏡で目元を隠してしまっているものの、綺麗で可愛らしい。
「俺にしておけばいいのに」
「何の冗談?」
はぁ、と溜息をつく彼女に、溜息ごと奪うように口づける。
触れるだけの子供じみたキスに、スザクはぴくりとも反応することはせず。
ルキアーノは『つまらないな』と小さく呟くと、スザクをその場に置いて校舎へ続く扉を潜った。



「ルキアーノ!!スザクの幼い頃を知っているんだろう!?教えてくれないか!?」
普段は自分から話しかけても来ないくせに、いの一番に話かけてくるジノに肩を竦める。
他に考えることはいくらでもあるだろうに。
これじゃあスザクも大変だな。
ルキアーノはスザクに対し軽い同情を覚えると、ジノの額を思い切り弾いた。
悲鳴をあげる幼馴染はいつまでたっても幼い。
それに苦労するのはいつも友人であり、親であり、自分だ。
「今日は敬語じゃなかった!あれがきっといつものスザクなんだろうな、うん!」
今日は一歩近づけた、と楽天的に笑うジノに苛立ちを感じる。
何であのスザクを見て笑っていられるんだ。昔のスザクを知っていたら気になって仕方ないほどの変化。
あぁ、覚えていないから平気なのか。なんだか、ムカつく。
ルキアーノは少しくらいの意地悪ならスザクも許してくれるだろうとジノの肩にそっと手をおいて。
その耳元に顔を近づける。
「何だよ、気持ち悪い」
「まぁ聞けって。姉さんの唇さ、すっげぇ柔らかかった」
囁かれた言葉にみるみるうちに目を丸くする。
固まってしまったジノの肩をぽん、と叩くとそのまま教室へと入っていった。
あの子供な幼馴染はきっとまだ廊下で固まっているのだろう。
(ざまぁみろ)
べ、と舌を出すと、ルキアーノはどっか、と席に座った。



to be continu...