あの真っ白の雪の日から、ビャッコの周辺は僅かに活気付いていた。
どこか皆浮き足立っているように見えたし、慌しかった。
それは、春になって、夏が近づく頃になっても変わる事は無く、それどころかどんどんそれは広がっていった。
最初は母と父だけだったそれが、今では大奥全体に広がっている。
それらは皆、母の体調を気遣い、優しい視線を向けていたけれど、それのどれもがビャッコを見ては居なかった。
父は忙しい中、やっと訪ねてきてくれても、真っ先に母の元へ行ってしまうし―それはいつものことだが―。
母は一緒に話していても、気がつけばお腹を愛しそうに撫でていた。
日に日に大きくなっていく母のお腹は、元々細身な彼女の体には酷く不釣合いにすら見えて。
ビャッコはそのお腹の中に”いる”ものが酷く憎かった。
今まで独占していた母の愛情も父の優しさも、世話をしてくれる皆の注意も全て持っていってしまったから。
今はもう溶けてなくなってしまった4つの雪うさぎ。
3つでいいのに、何で母様はもう1つ増やしたのだろう。
「若様、1人で行かれては駄目ですよ」
「うん」
大きな荷物を抱えて歩く中臈の女性の忠告に生返事で返してビャッコは長い長い廊下を1人で歩いた。
つい半年ほど前までは考えられなかった行為。
最初のうちは毎日が冒険で楽しかったが、今では寂しさばかりが募る。
今日はあの場所へ行ってみよう。
スザクは寂しさを振り払うように緩く頭を振ると、あの場所へと向かった。
大奥から外に出る手段はただ一つ。
御鈴廊下と呼ばれる廊下だった。
「…ここから…そと…」
扉に掛かった大きな鍵、それに触れるとビャッコはむすっと顔をしかめた。
どうせ出れないだろうということは容易に想像がついていたが、ビャッコはそれをガタガタと揺らしてみた。
期待通りうんともすんとも開かない扉にやっぱり、と肩を落とす。
「何やってるの?アナタ」
後ろから声をかけられて思わずびくりと震えた。
別に悪い事はしていないのだけれど、今までかけられたことのないような少しキツメの声だったから、驚いたのだ。
少し怯えているビャッコを見て少し気まずいのだろう、後ろからすぐにごめんと謝罪が掛かって、やっとビャッコは振り返った。
「…おはな…」
目が痛くなるほど鮮やかなそれに思わず呟くと、女性はあぁ、と前髪を一房摘んだ。
「これ、そんなに珍しい?」
こくこく、と数回頷くと、そうかな、と女性は髪を指先でくるくると弄んだ。
「…綺麗」
「……ありがと」
少し驚いたようにした後、女性は照れくさそうに笑った。
「赤い髪って、珍しいからかもしれないけど、よくからかわれるんだけど…」
好きなの、と笑う彼女は綺麗で。
「あ、そういえばアンタ、スザクの子供でしょ?」
違うとは言わせない、と笑う彼女に気圧されるようにまた何度も頷くと、後ろの鈴が思い切り鳴り響く。
それにまたびくりと震えると彼女に促されるように廊下の真ん中を開ける。
それとほぼ同時に扉が開いて。
「ととさまっ」
現れた父の姿にぱっと笑顔になって飛び出すとその体が抱き上げられて宙に浮く。
「お迎えありがとう、ビャッコ。カレンも、久しぶりだね」
「はい。スザク…今回は再び大奥へお迎え頂き…」
「いいよ、カレン。そんなに畏まらなくて」
その言葉に驚いたようにカレンと呼ばれた女性が顔を上げる。
何だか不思議なものを見たようにスザクを見ていたけれど、ビャッコには何がそんなに驚く事があるのか分からず。
「…あんた…じゃない…スザク、柔らかくなりましたね」
「あんた、でいいよ。それが本来のカレンなんだろ?」
少し弾む父の声。
母といる以外の時でこんなに楽しそうな父の表情を見たのは初めてで、思わず父の顔を見上げる。
カレンは参った、と肩を竦ませていて、何だか仲の良さそうに見える二人の姿に思わず首を傾げた。
「…ととさまのおともだち?」
「ちょっと止めてよ。こんなのと友達なんて」
「そうそう。カレンは…元奥さん、だよね」
「アンタ、自分の子供の前で何てこと言ってんのよ!そーいうところが気に入らないのよ!」
何だか楽しそうな二人にビャッコは手を叩いて喜んだ。
最近一人遊びが多くなっていたビャッコにとって、この賑やかなのが何と言っても嬉しくて。
きゃっきゃと笑っているビャッコを見てカレンと父が顔を見合わせて苦笑した。
「喧嘩は…」
「止めましょうか」
スザクは片手でビャッコを抱き上げると空いた手をカレンへと差し伸べた。
「これからまた、よろしく」
「望むところよ」
「あ、そうだ。ルルーシュには暫く私のこと内緒にしてて」
「どうして?」
「…色々…会いづらいのよ」
父は何か思い当たるところがあるのか、曖昧な返事をすると苦笑した。
カレンにビャッコもよろしくね、と言われたので、母には内緒にしておこうと頷く。
楽しくなりそうな予感がして、わくわくと胸を高鳴らせる。
昨日の寂しいのとは打って変わって、今日から楽しくなりそうだ。
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