記憶の秒針
どうしても欲しい人がいた。
私とは違う、可愛い妹の傍で優しく笑う人。
夏の色濃く生い茂った木々の葉っぱのように生き生きとした緑の瞳を持つ人。
可愛い可愛い妹はいつも彼を困らせて、けれど、妹といる彼は楽しそう。
私が彼女だったなら、その笑顔、私に向けてくれたのか?
そうだ、欲しいなら奪ってしまえばいい。あの妹から。
幸いまだ彼女は主従契約を結んでいない。
今の彼はまだただのお目付け役。手遅れになる前に。
カチャ、と音を立てて、湯気を仄かに立てるティーカップをテーブルへと戻す音が響く。
それと同時に大きなため息が兄から漏れるのを見ると困ったような笑みを浮かべた。
「全く、君はどうしてそんなに無欲なんだろうね?幼い頃から我侭を聞いたことが無いよ」
私には何でも話してくれないか?と悲しげな笑みを浮かべながら言う兄は正直苦手だった。
他の兄弟達と少しずつ距離を開けていく度に、この3番目の兄だけは世話をやいてくる。
ルルーシュがどんなに面倒くさそうにしても、無視しても変わらず。
お互い子供とは言えなくなった歳になっても、こうしてお茶を飲みに皇宮でも離れにあるアリエス宮まで足を運んでいた。
他の兄達と比べて政治にも軍事にも秀でているわけではない。
むしろ、本人は胸を張って苦手だと言うのだからそうなのだろう。
彼を利用するのは少し心苦しいが、今を逃せばきっと彼は妹の騎士になってしまう。
だから。
ごめんなさい、兄上。心の中でそっと謝ると媚を売るように僅かに首を傾げて相手を見つめた。
「兄上、それじゃあ、一つだけ、私のお願い、聞いてくれますか?」
大人しい妹を演じて話した言葉にクロヴィスは満面の笑みを浮かべて、何でもいいなさいと言う。
「枢木スザク…彼を私の騎士として、頂きたいと思います」
「枢木…?あぁ、ユフィの処にいるあの子か。ならユフィを説得しないとね」
少し難しいと言わんばかりに唸るクロヴィスを見ると、深く項垂れるように瞳を伏せた。
「やっぱり…無理ですよね?」
「いや、頑張って説得してみせるよ。必ずとは言えないが、それでも良いかな?」
「十分です。有難う、クロヴィス兄様」
笑顔で礼を言うとクロヴィスは満足そうに頷いた。
これで、彼が…。
それは幼い頃の、蜂蜜のような優しい記憶。
母は騎士候だったけれど庶民の出。
アッシュフォードという後ろ盾はあったけれど、皇宮内で私達の立場は弱いものだった。
その頃、ブリタニアは勢力をどんどん拡大していた。
開戦ともなると母がKMFを駆って戦場に行く事も少なくはなく、ルルーシュはナナリーと2人留守番することもあった。
寂しくないと言えば嘘になる。
ただ、当時のルルーシュは大人びた子供を演じていたから、常に気丈に振舞っていた。
そんなある日、ナナリーを寝かしつけた後、寂しさを紛らわせるために訪れた庭の茨の迷路の中で彼に出会った。
膝を抱えて泣いている時に声をかけてくれた彼の声は優しくて。
けれど、月の光が逆光になり、彼の表情ははっきり見えなかったけれど、驚いていた、と思う。
同じ歳くらいの知らない女の子がいきなり声をあげて泣き出したのだ。
きっと、とても困っただろう。
『…大丈夫だよ、怖くないから』
事情を知らない彼の励ましはちょっとどころかとてもズレたものだった。
けれど、小さな子供特有の暖かな手でぽんぽんと肩や頭を撫でて貰うと不思議と涙はひっこんで。
目尻の涙を手の甲でごしごしと拭って彼を見上げると、彼はほっとしたのかルルーシュの隣に腰を下ろした。
夜間だったから彼の姿や表情が読み取り辛かったけれど、彼が優しい人だという事は分かった。
『君、名前は?』
『…スザク。枢木スザク』
彼は少し間を置いて呟くように言った。
聞きなれない音をした名前に一瞬戸惑っていると、スザクと名乗った少年は立ち上がり、身を翻して帰っていってしまって。
それはとても速い動作で、呼び止める事も出来なかった。
ずっと、彼のことは心の中にあって。けれど探す事はしなくて。
そうこうしているうちに、たまたま訪れた妹の宮で、妹に引きずられながらぎこちない笑顔を浮かべる少年を見つけた。
後で話を聞いてみると、スザクはユーフェミアの友人役なのだと、いうことだった。
あの時にユーフェミアに覚えた感情は身を焦がされるような嫉妬。
スザクを取られるのは嫌だ、私のスザク。私の騎士だけでいて欲しいのに。
それが私の初恋だった。
昔を思い出して瞳を細め、ソファに体を沈ませる。
あの日以降、スザクと面と向かう機会はなく。
庭の片隅で膝を抱えて泣いていた名前も知らない女の子のことなんてきっと彼は覚えていない。
その女の子が彼にどんなに救われたかなど知らないだろう。
けれど、女の子にとっては、忘れもしない思い出で、スザクは大きな存在で。
それを押し付けるのはもしかしたら彼は嫌がるかもしれない。
「それでも、お前が欲しいんだ、スザク。ユーフェミアを泣かせてでも」
ルルーシュは手のひらをキツク握り締めると不意に響いたノックの音にくつろげていた姿勢を凛と正した。
「失礼します。クロヴィス殿下からの手紙をお届けに参りました」
まだ新人なのだろう、侍女は背をぴんと伸ばして少し緊張しながらルルーシュの手に手紙を手渡し。
ルルーシュは無言で手紙を受け取るとその文面にそっと視線を落とした。
書かれている内容を見て、知らず釣りあがる口角を隠すように嬉しそうに手紙を胸に抱えて嬉しそうに微笑む。
そうすると、目の前の侍女がホッ、と肩を下ろした。
大方、どういう風な反応をするか報告するように言われていたのだろう。
「兄上に本当にありがとうございます、って伝えてくれる?ルルは本当に嬉しいですって」
少し愛らしさを意識して満面の笑顔を貼り付けて侍女に伝えると、彼女は喜んで!と慌てて帰っていった。
ルルーシュ一人が残ったその部屋で、彼女は手紙をもう一度開いた。
「感謝しますよ、兄上」
ちゅ、と手紙に口付けるとルルーシュはクローゼットへと踵を返した。
「スザクはどういうドレスが好きなんだろうな。黒?あぁ、でも白もいいな」
滅多に開けないクローゼットからドレスを引きずり出して鏡の前で当ててみる。
いつも侍女に急かされてするドレス選びがこんなに楽しいのは初めてだ。
スザクのことを考えると知らず知らず心は弾み、笑みが浮かぶ。
「随分楽しそうだな、ルルーシュ。私のための装いかな?」
不意に背後から声をかけられるとルルーシュは笑顔をひっこめて振り返った。
予想通りと言うべきか、そこには何かと昔から引っ付いてくるジノ・ヴァインベルグの姿があった。
本来ならばノックも無しに入ってくるな、と言いたい所だが、彼に言っても聞くわけが無いと溜息をつく。
「寝言は寝て言え。これは明日の騎士受任式のためのドレス選びだ」
自分より頭一つ分以上大きな相手を見上げると、空色の瞳が複雑そうに細められた。
「そんな話、私は聞いてないんだけど?」
「当たり前だ。俺の騎士はジノじゃない。教える必要も無いだろう?」
「意地悪だなぁ、ルルーシュは。で、誰なんだ?騎士になるのは」
ジノの問いかけにルルーシュは思わず口を噤んだ。
彼がそんな卑怯なことをする男ではないと分かってはいるが、それでも明かすのは憚られて。
「内緒だ。明日になれば分かるんだから、我慢しろ」
笑って誤魔化すとジノを部屋から追い出した。
そう、明日。明日やっと、スザクが俺のところに来る。
綺麗で可愛い妹の下から私のところへと、堕ちてくる。
ゾクリ、と知らず歓喜に震える腕をそっと抱くとルルーシュはまた小さく笑った。
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何て腹黒いルルーシュorzけど、ルルーシュがスザクに片思いってのが好きなんですよ。
ルルーシュは一途にスザクが大好きすぎるんですよ(何て言い訳)
って、スザク出てきてないですね。